元離宮二条城

江戸時代に徳川家により造営された日本の平城で、城内全体が国の史跡に指定されていて、1994年にはユネスコの世界遺産(世界文化遺産)に「古都京都の文化財」として登録されました。 徳川家康の将軍宣下に伴う賀儀と、徳川慶喜の大政奉還が行われ、江戸幕府の始まりと終わりの場所でもあります。

東大手門

東大手門は二条城の正門で、江戸時代前期の1662年(寛文2年)に造られました。 現在の形式は櫓門で、屋根は本瓦葺で入母屋造り、妻は木連格子、棟には鯱が飾られています。

番所

二条城の番所は東大手門を入ってすぐのところにあります。 正面十間(19.6m)、奥行三間(6.06m)の細長い建物で、江戸から派遣された武士達の詰所です。

東南隅櫓

二条城には隅櫓が本丸や二の丸の隅にありましたが、天明8年に多くの櫓が焼失し、現在は東南隅櫓と西南隅櫓が残っているだけです。1602年(慶長7年)から1603年(慶長8年)に造られ、1625年(寛永2年)から1626年(寛永3年)に改修されました。

北大手門

北大手門は二条城の北側にある大手門で、入母屋造、本瓦葺きの櫓門で、1602年(慶長7年)から1603年(慶長8年)に造られ、1625年(寛永2年)から1626年(寛永3年)の改修で現在の姿になりました。 国の重要文化財に指定されています。

唐門

1626年(寛永3年)の後水尾天皇の行幸にあわせて造営された門。 切妻造の四脚門で、正面と背面に唐破風をつけ、複雑精妙な彫刻と華麗な金工細工を施しています。

二の丸御殿

江戸時代の武家風書院造りの代表的なもので、車寄、遠侍、式台、大広間、蘇鉄の間、黒書院、白書院の6棟が東南から北西にかけて雁行に立ち並んでいます。1867年(慶応3年)大政奉還の舞台でもあります。建物面積3,300平方メートル,部屋数33,畳は800畳あまり敷かれています。

本丸櫓門

1626年(寛永3年)に徳川家光が造営した門。 入母屋造、本瓦葺きの櫓門で、国の重要文化財に指定されています。

本丸

創建当時の本丸御殿は、現存する二の丸御殿にほぼ匹敵する規模をもっており、内部は狩野派の障壁画で飾られていましたが、1788年(天明8年)に起きた大火により焼失しました。  幕末に15代将軍徳川慶喜公の住居として再建されましが、1881年(明治14年)に撤去されました。 現在の本丸御殿は、京都御苑今出川御門内にあった旧桂宮邸の御殿を、1893年(明治26年)から1894年(明治27年)にかけて移築したもので、国の重要文化財に指定されています。

天守閣跡

寛永三年(一六二六年)に伏見城から移築された五層の天守が建てられていましたが、寛延三年(一七五〇年)に落雷により焼失し、再建されること無く現在に至っています。  現存する天守台は、高さ二一米、天守台上の敷地四四五平方米あります。

清流園

池泉回遊式の和風庭園と、芝生を敷詰めた洋風庭園の清流園の面積は約五千坪で、  この庭園は、高瀬川一之船入のところにあった旧角倉了以邸の建物の一部と、庭園の庭石約八百をもとに、全国から集めた名石約三百個をそれに加え、昭和四十年に完成した。  園内にはお茶室和楽庵や、香雲亭がある。


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