寺は嵯峨天皇の弘仁六年、弘法大師が四十二才の時登山され金剛窟に瀧沢大権現と、開運不動尊を勧請して、息災の護摩壇を築き、朝夕「きよめの瀧」で心身を浄め「開運厄除」「虫除五穀豊穣」の二つの御請願をおたてになり、二十一日間護摩の修行をなさる。その護摩修行成満の後、自らの姿を彫刻して、此の山に留め安置し給うた。その御本尊を「厄除大師」「虫除大師」と申し伝えて諸国より多くの信者が四季を通じ参籠している。(四国別格霊場会公式サイトより)
寺は嵯峨天皇の弘仁六年、弘法大師が四十二才の時登山され金剛窟に瀧沢大権現と、開運不動尊を勧請して、息災の護摩壇を築き、朝夕「きよめの瀧」で心身を浄め「開運厄除」「虫除五穀豊穣」の二つの御請願をおたてになり、二十一日間護摩の修行をなさる。その護摩修行成満の後、自らの姿を彫刻して、此の山に留め安置し給うた。その御本尊を「厄除大師」「虫除大師」と申し伝えて諸国より多くの信者が四季を通じ参籠している。(四国別格霊場会公式サイトより)
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