高知を代表する景勝地『桂浜』の背後の山一帯が、長宗我部氏最後の居城、浦戸城跡である。ここは、北、東、南を海に囲まれた要害の地であり、また、紀貫之の『土佐日記』にも出てくる浦戸の港を擁し、上方との連絡、水軍の保有にも便利なところであった。
元親は最初、天正16年(1588年)現在の高知城のある大高坂山に築城しようとしたが、鏡川の治水に失敗し、天正19年に浦戸へと移り、本拠とした。以後約10年間、子の盛親が関ヶ原の合戦で敗れるまで、長宗我部氏の居城であった。
山内一豊が高知城を築くにあたり、浦戸城の石垣などを取り壊して運んだといわれており、浦戸城は石垣の一部と尾根の西方二ノ丸付近に3条の堀切を残すのみであるが、古城としての面影を偲ぶことができる。
現在、国民宿舎「桂浜荘」と坂本龍馬記念館の建っているあたりが、本城になる。(高知市より)
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