独鈷山 伊舎那院 青龍寺(四国八十八ヶ所霊場 第三十六番札所)2022.12.28 08:02歴史・由来青龍寺を遍路するときは、「宇佐の大橋」を渡る。昭和48年に橋が開通するまでは、浦ノ内湾の湾口約400mを船で渡った。弘法大師も青龍寺を創建するさいに、この湾を船で渡っていた。お供をした8人を残している。その子孫が「竜の渡し」というこの渡し船を、近年まで代々守り続けてきた...
本尾山 朱雀院 種間寺(四国八十八ヶ所霊場 第三十四番札所)2022.12.28 07:47歴史・由来土佐湾の沿岸は、四国霊場のメッカのようである。種間寺もその一つで、土佐湾の航海に結びついた興味深い縁起が伝えられている。 6世紀のころである。敏達天皇の6年(577)百済の皇子から多くの経論とともに、仏師や造寺工を贈る旨の勅書がとどいた。彼らが渡来したのは用明天皇(在位...
高福山 幸福院 雪蹊寺(四国八十八ヶ所霊場 第三十三番札所)2022.12.28 07:31歴史・由来土佐湾の桂浜は、白砂の美しい月の名所として知られる。幕末の志士、坂本龍馬の銅像が立っていることでも名高い。雪蹊寺はそこから西へ約4キロほどである。雪蹊寺の縁起は、まず3つの特色から挙げておく。 1つ目は、四国八十八ヶ所霊場のうち2ヶ寺しかない臨済宗妙心寺派の寺院であるこ...
赤亀山 寺山院 延光寺(四国八十八ヶ所霊場 第三十九番札所)2022.06.30 09:44歴史・由来土佐路の西南端、「修行の道場」最後の霊場である。 現在の山号、寺名の由来にかかわる竜宮城の縁起からひも解こう。時代は平安中期、延喜11年(911)のころ、竜宮に棲んでいた赤亀が背中に銅の梵鐘を背負ってきたという。僧たちは早速これを寺に奉納して、これまでの山号、寺名を「赤...
蹉跎山 補陀洛院 金剛福寺(四国八十八ヶ所霊場 第三十八番札所)2022.06.22 14:53歴史・由来四国の最南端、国立公園の足摺岬を見下ろす丘の中腹にあり、境内は120,000平方メートルを誇る大道場。弘法大師はその岬突端に広がる太平洋の大海原に観世音菩薩の理想の聖地・補陀落の世界を感得した。ときの嵯峨天皇(在位809〜23)に奏上、勅願により伽藍を建立、勅額「補陀洛...
藤井山 五智院 岩本寺(四国八十八ヶ所霊場 第三十七番札所)2022.06.19 00:24歴史・由来清流四万十川が流れ、標高が300m程の高南台地が広がる四万十町に、五尊の本尊を祀る岩本寺は建立されている。歴史は天平の世まで遡る。寺伝によれば、聖武天皇の勅を奉じた行基菩薩が、七難即滅、七福即生を祈念して、現在地より北西約3㎞の付近にある仁井田明神の傍に建立したと伝えら...