歴史・由来
四国霊場では竹林寺・志度寺・善通寺とこの本山寺の4ヶ所だけという五重塔が目印。天暦3年(950)の建立でしたが損傷が激しく明治43年に再建されました。また、本尊は馬頭観世音菩薩で四国霊場では唯一のもの。頭上に馬頭をいただく観音様で、祀られている本堂のそばには馬の像が控えています。
大同2年(807)平城天皇の勅願により、弘法大師が七十番札所として開基。当時は「長福寺」という名で、本堂は大師が一夜ほどの短期間にて建立したという伝説が残ります。およそ2万平方メートルの広大な境内には国宝の本堂はじめ、仁王門、五重塔、鎮守堂、大師堂、十王堂、赤堂(大日堂)、慰霊堂、鐘楼、客殿などが並び、大寺として栄華を極めた当時を偲ばせます。
天正の兵火では長宗我部軍が本堂に侵入の際、住職を刃にかけたところ脇仏の阿弥陀如来の右手から血が流れ落ち、これに驚いた軍勢が退去したため本堂は兵火を免れたといわれます。この仏は「太刀受けの弥陀」と呼ばれています。その後、「本山寺」と名を改め、今に至ります。(四国八十八ヶ所霊場会より)
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