淀城跡

淀は、淀の港の与渡津を言い、諸国から運ばれる貢納物や海産物、塩などのを集積する商業地でした。戦略的には河内国、摂津国方面や大和国方面から山城国、京洛に入る要衝で、 淀城は、宇治川、桂川の合流付近の川中島に位置します。 江戸時代に伏見城の廃城により、その代わりとして江戸幕府が松平定綱公に命じて新たに築かせた城です。山城国唯一の大名家の居城として明治に至りました。豊臣秀吉公が側室茶々の産所として築かせた淀城は現在の位置より北へ約500メートルの位置にありました。

本丸の石垣

山城国淀天守之図に、破風の天守と隅の張り出した二重櫓が描かれていることから二重の大入母屋屋根の上に三重櫓を乗せた五重五階の望楼型天守で、外壁は白漆喰総塗籠の壁であったと思われる。 天守は二条城の天守が移築されたが二条城の天守は淀城の天守台に比べると小ぶりで、それを補うために四隅に二重櫓を配し、その間を多聞櫓または多聞塀で連結した。この四隅にある櫓を姫路櫓と呼ぶことからは姫路城からの移築であるという伝承もあります。


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