1619(元和5)年に小笠原忠真(おがさわらただざね)が起工した新城です。それまでは、池田氏が播磨一国を領有していましたが、何人かの大名に分割され、交通の要衝(ようしょう)である明石にも新藩が作られたのです。丘陵が舌状に張り出した尾根地形に稲荷郭・本丸・二ノ丸を東西に連ね、明石海峡に南面した城下海岸部には港も整備されていました。1995(平成7)年の阪神・淡路大震災では石垣が崩れるなどの大きな被害が及び、修復工事が行われました。(ひょうご歴史ステーションより)
1619(元和5)年に小笠原忠真(おがさわらただざね)が起工した新城です。それまでは、池田氏が播磨一国を領有していましたが、何人かの大名に分割され、交通の要衝(ようしょう)である明石にも新藩が作られたのです。丘陵が舌状に張り出した尾根地形に稲荷郭・本丸・二ノ丸を東西に連ね、明石海峡に南面した城下海岸部には港も整備されていました。1995(平成7)年の阪神・淡路大震災では石垣が崩れるなどの大きな被害が及び、修復工事が行われました。(ひょうご歴史ステーションより)
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