四国別格二十霊場 第二十番 大瀧寺2022.05.30 01:06奈良時代(神亀三年)行基菩薩が塩江より御登山になり阿讃山脈秀峰に一寺を建立し、阿弥三尊を安置しました。平安時代の初期、延暦十年(西暦788)弘法大師も「三教指帰」と云う大師の著書にはっきりと記されています様に「求聞持修法」をされ、弘仁六年(807年)弘法大師四十二才、二度目の登山...
摩廬山 正寿院 焼山寺(四国八十八ヶ所霊場 第十二番札所)2022.05.30 00:16歴史・由来焼山寺山(標高938メートル)の8合目近くにあり、四国霊場で2番目に高い山岳札所。剣山や白髪山など四国山脈の山々がひろがる眺望はすばらしい。四国霊場には「遍路ころがし」といわれた札所がいくつかあるが、焼山寺もその一つで、昔から嶮しい坂道の難所を辿る「修行の霊場」であった...
金剛山 一乗院 藤井寺(四国八十八ヶ所霊場 第十一番札所)2022.05.29 15:45歴史・由来全長236キロ、四国最大の吉野川が阿波の北部を貫流している。阿波中央橋を南に渡り、およそ3キロの山麓に十一番霊場の山門が見えてくる。三方を山に囲まれ、渓流の清らかな仙境に心を惹かれた弘法大師が、この地で護摩修法をされたのは弘仁6年のことと伝えられている。大師は42歳の厄...
舎心山 常住院 太龍寺(四国八十八ヶ所霊場 第二十一番札所)2022.05.14 00:20歴史・由来「西の高野」とも称される。四国山脈の東南端、標高618メートルの太龍寺山の山頂近くにある。樹齢数百年余の老杉の並木が天空にそびえ、境内には古刹の霊気が漂う。弘法大師が19歳のころ、この深奥の境内から南西約600メートルの「舎心嶽」という岩上で、100日間の虚空蔵求聞持法...
白水山 医王院 平等寺(四国八十八ヶ所霊場 第二十二番札所)2022.05.12 14:28歴史・由来弘仁5年(814年)、弘法大師がこの地を訪れ禅定に入られたころ、心に薬師如来さまの姿が浮かびました。 お大師さまはそのお薬師さまを想いながら次のような御誓願を立てられます。 「あらゆる人々の心と身体の病を平等に癒し去る」 大師はこの地での修行を志し加持水を求めて井戸...
橋池山 摩尼院 立江寺(四国八十八ヶ所霊場 第十九番札所)2022.05.11 09:53歴史・由来高野山真言宗の別格本山。「四国の総関所」として四国八十八ヶ所の根本道場といわれ、また「阿波の関所」としても知られる。縁起によると、聖武天皇(在位724〜49)の勅願で行基菩薩によって創建された。勅命により行基菩薩が光明皇后の安産を祈るため、念持仏として5.5センチほどの...
母養山 宝樹院 恩山寺(四国八十八ヶ所霊場 第十八番札所)2022.05.11 09:09歴史・由来小松島市郊外の小高い山の樹林が心地よい、県指定の風致地区にある。縁起をたどると、創建は聖武天皇(在位724〜49)の勅願により、行基菩薩が草創して、当時は「大日山福生院密厳寺」と号した。本尊には行基菩薩が薬師如来像を彫造して安置し、災厄悪疫を救う女人禁制の道場であった。...