麻城跡

案内板には以下の通り書かれていました。


馬の背状の最高所(168m)を天守(城のてんしん)とし、

東に段下りに六つのとりで(六郭)をはしご状に配し、

その前後に外郭・出郭を持ち、敵に攻められた時この城で守る。

国久は獅子ヶ鼻城主大平伊賀守国祐(豊浜町和田)の弟で、

ともに天霧城主香川氏に属していた。天正年間、土佐の長宗我部元親西讃岐に侵攻の時、

麻城も落城、国久も討ち死にした、その谷をおじが谷(横死ヶ谷)と呼んでいる。

時は天正六年(1578年推定)

旅と趣味 平蔵

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